北野安子(北野武の姉)が語った家族の関係は?テレビで明かされたルーツ

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こんにちは。

 

2016年12月21日に放送される

“ファミリーヒストリー「北野武~父と母の真実 阿波国徳島に何が!~」”

で、北野武さんの姉”北野安子”さんが出演されます。

 

兄の大さんはテレビに出演しているところを見たことがありますが、

姉の安子さんは今回がテレビ初出演なんだとか!

 

武さんと言えば、コメディアン、映画監督など様々な場面で活躍され、

自身の家族をモチーフにした本・ドラマ

“菊次郎とさき”を発表しています。

 

しかしこれはフィクション交じりの作品であり、

実際の家族の姿を知っているという人は少ないのでは?

 

今回の番組では安子さんによって、

武さんの家族について語られるそうです。

それらについてまとめてみました。

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祖母・うしさんについて

番組では東京大学に祖母に関するルーツがあることが判明しました。

花柳界の雑誌に紹介されていたのです。

竹本八重子という芸名として活動し、

うしさんは人気娘義太夫として活躍していたのです。

 

うしさんは阿波の国徳島県生まれで、

徳島城のあった場所のすぐ近くに住んでいました。

 

徳島は人形浄瑠璃の本場で、義太夫節の演者は

みんなの憧れであり、うしさん自身も8歳から義太夫節を練習していた。

そして浄瑠璃の番付に11歳で載るほどメキメキと実力を付けました。

 

父は北野鶴蔵(武さんの曽祖父)さんで、

うどん粉を扱う粉問屋を営んでいました。

 

しかし、明治恐慌で店の経営が困難になり

うしさんは家計を助けるため上京。

そして東京の番付でも名前が載るほどの実力者に、

徳島の実家へ仕送りを続けたのです。

 

 

 

 

 

 

姉・安子さんについて

姉の安子さんは現在80歳。

EXILEのファンでコンサートに行くほどお元気です。

家族の思い出を番組では楽しそうに語ってくれました。

 

以下のさきさんのエピソードの一部は

安子さんが語ってくださったものです。

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母・さきさんについて

武さんはこれまでに自伝ドラマ「たけしくん、ハイ!」の脚本を書いており、

その中で特に忠実に再現したのは母のさきさんだといいます。

 

さきさん口癖は

「勉強しろ、とにかく勉強しろ」

 

友達付き合いにも口を出すことがあり、

「アイツ(武さん)本当に悪い奴なんだよ」

といって悪い友達を追い払ったというエピソードも。

 

さきさんがこのような性格なのには

理由がありました。

 

さきさんのルーツ

さきさんは千葉県出身。

旧姓は小宮、父は寅吉(武さんの祖父)。

コメや麦を作る小作人でした。

さきさんには上に兄弟が3人いたが、全員幼少期に亡くなっていた。

 

実家が農家を続けられなくなったため、

さきさんは14歳の時に上京。

高山家の奉公人になりました。

 

料理や裁縫を習っていなかったため、

掃除を下働きをして過ごす日々。

 

3時のおやつを食べず、奉公人頭に自分の分のおやつを渡して

裁縫を教わっていたそう。

睡眠時間を削ってその日に習った習い方を復習。

 

ある日、主人の袴を直してほしいとの夫人の依頼に

「私にやらせてください」

と言うが、させてもらえず。

できると言っても信じてもらえない悔しさを生涯忘れなかった。

 

この時の経験から、

「人間は意地がなくちゃだめだ」と安子さんに教えました。

 

菊次郎さんとの出会い

さきさんが19歳の時、高山家へ義太夫節の指導に当たっていたうしと出会いました。

うしさんはその後「正木屋北野」として帽子や衣服を扱う洋品店を営むことに。

そこでさきさんも働くようになりました。

 

仲良がよかった二人は、うしさんからうちに嫁においでと誘われ、

うしの息子北野徳次郎と結婚。

しかし夫は結婚後すぐに病死してしまいました。

 

その後うしはいとこの

正瑞(しょうずい)菊次郎(武さんの父)をさきと出会わせました。

この時、さきさんは27歳でした。

正瑞という名字はもともと勝瑞と書き、武士の家系なんだそう。

武さんに武士の血統があったなんてびっくりですね!

 

北野家を残したいということで、うしさんと菊次郎さんは養子縁組を組み、

その後さきさんと結婚。4人の子供に恵まれました。

 

菊次郎さんの性格は「お人よし」「見栄っ張り」「道楽者」

と家族に言われています。

酔っぱらうと人の頼みを断れなくなってしまうんだそう。

 

そのせいで5年後に洋品店は倒産。

菊次郎さんはギャンブルで借金を背負うことに。

家族は厳しい生活に追い込まれました。

 

そのため、父親のことをよく言う家族はいないんだとか。

それを笑いながら武さんと安子さんは語っていました。

 

浅草で漆職人として働いていた菊次郎さん。

静かに丁寧に仕事を行うことで評判でした。

しかし、漆の高騰による需要の低下で、ペンキ屋に転身。

 

ペンキ屋になってからはこんなエピソードも

洋品店にペンキを塗りに行ったはずなのに、

洋服を買って帰ったという。

洋服代のほうが高くて結果赤字になったというエピソードも披露してくれました。

 

武が生まれてからは、兄弟たちが勉強ができるように

さきさんは毎朝鉛筆を削ることを欠かしませんでした。

とにかく勉強させることを徹底したのです。

 

その一方で、同居していたうしさんは

現役引退後も家でも稽古をしており、

武さんたち兄弟は「うるさくて勉強できない!」

と語っていました。

 

さきさんがなぜここまで教育を徹底していたのかというと、

「教育がなければいい仕事はできない。手に職をつけろ」

「貧乏は教育で絶つ」

「お金は取られてしまうが、教育で得たものは人に取られない」

そう子供たちに何度も言っていたそうです。

 

さきさんの幼いころのような人生を子供たちに

歩んでほしくなかったのですね。

 

このような自分の生い立ちを語ることはなく、

武さんには師範学校を出て、子供を教えていたと伝えていたんだそうです。

 

さきさんの教育の甲斐があり、武さんは明治大学工学部に進学。

しかし、大学を辞め、家を出ることを決意。

それが原因でさきさんは武さんを勘当しました。

 

しかし、その後も学費は払われ続けたのだとか。

退学ではなく休学扱いとなっており、いつでも戻ってこられるように

という計らいがあったのです。

 

その後の親子の関係

武さんがテレビに出演するようになってからも、

さきさんは心配で笑うことがなかったそうです。

そして95歳で死去。

その後遺留品が発見されました。

 

さきさんの遺留品には、武さんを応援していたことが分かるものがありました。

タケちゃんマン人形、

武さんが好きなタレント2年連続で1位になった時の新聞の切り抜きなど。

切り抜きは滅多にしなかったという

さきさんが保管した記事。

武さんのことを本当に可愛がっていたんですね。

 

まとめ

武さんにこんなルーツがあったとは・・・

思っていた以上に複雑でした。

この年になって初めて明かされることもあるんですね!

 

非常に興味深く面白い番組でした!

今回出演してくださった安子さんに感謝ですね!

 

これからも家族仲良く、元気に過ごしてもらいたいものです!

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